› 都城盆地博覧会(ボンパク)への誘い › 2012年04月13日
2012年04月13日
ボンパク☆寺子屋 第4夜 講話内容報告
ボンパク☆寺子屋 第4夜
ゲストスピーカー:末田 加良子(NPO法人ハットウ・オンパク 企画コーディネーター)
・オンパクとわたしの10年
・企画を作っていくうえで大切なこと
1.オンパクは毎年春に開催、今年で17回目を迎える。(過去には春と秋に開催していた為)
オンパクの始まり…10年前は、ちょうどまち歩きが始まった頃で現在のオンパクのような“着地型旅行商品”は世間一般には認知されていない時代だった。
そんな中で、まずはたくさんの方に知ってもらうために、教室を持っている先生方(ネットワークが広く実力のある方々)に講師として来ていただき、教室を開いたのがきっかけ。
現在はプログラム提供者のことをパートナーと呼ぶ。
2.別府オンパクのコンセプトは温泉地でゲンキ+キレイ。これは10年変わっていない。
温泉地ということもありエステやマッサージをされている方や、病院も多い。“健康温泉滞在型雇用地”ということもコンセプトとしていて、かなりメディカルなスタートであった。
たくさんの病院の先生方にもパートナーとして来ていただいたが、堅いイメージを持たれあまり人が集まらず、それでもなんとか人を動員して第1回目を開催した。それが2001年の秋であった。企画内容よりも、ひとつひとつのプログラムをなんとか成立させなければ、という思いで力を注いだ印象。
3.その後2年ほどそのような形で開催し、3年目に、プログラム内容を面白いもの・質のいいものにしようと、意識して取り組むようになった。というのも、リピーターのお客様方から「次はこういうものをやってほしい」という声を直接聞くことができ、パートナー側も「待っている人がいるから、もっと面白いものを作ろう」というモチベーションアップにつながったからである。
4.2004年頃になると、全国でもまち歩きをするところが増え始め「地域づくり」に対しての関心や認知度も高まり、自分自身もオンパクを楽しんでやるようになっていた。
5.オンパクは当初3年間、補助金で運営していた。
料金も500円・1000円・1500円の3種類。お客様にはとてもリーズナブルな価格で参加していただき、パートナーの方々にも謝金を払っていた。
しかし、3年間で補助金も終了し、自立した運営をしていかなければならなくなる。パートナーの先生方からも参加費をいただくことに対し激しく責められたものの、それでも協力していただける方々と新しい形の運営を目指した。
6.オンパクを始めて10年になるが、いまだに“行政がやっているもの”と思われている。しかし実はNPO法人で、事務局は別府市温泉旅館組合を主体としている。
オンパクの運営は、パートナーからの参加費と、一般客からの参加費(これは主催するパートナー側の収入となり、経費もそれでまかなう)で成り立っている。
7.今年の5月開催のオンパクは、24日間で160種類のプログラムを提供する。
たくさんのプログラムがある中で、「自分のプログラムを選んでもらう」ことはすごく大変なこと。ある意味、パートナーのみなさんはライバルであり、お互いに切磋琢磨しながら活動している。また、どんなに魅力的なプログラムでも2~3年続けて同じ内容だとお客様は飽きてしまうため、アレンジを加えながら変化させていく必要がある。
8.末田さんが企画コーディネーターとして意識していることは、どうやって地域の新しい方(パートナー)を巻き込んでいくか、ということ。
最近の取り組みとしては、
●プログラム参加者の中から、ハードリピーターの方に企画チームに入ってもらう。
●美女軍団を結成し企画チームを作る。(マスコミの方々に効果アリ!)
●行政の方ばかりを集めた企画チームを作る。(行政の方は地域の方とのネットワークが広いため。)
9.そして今回考えたのが、企画ワークショップ「寺子屋」である。今まではパートナーと1対1で話しあうことが多かったが、みんなで話し合って進めていく方がより面白いものが生まれるという。開催場所もみなさんが行きたくなるような場所を選び、ゆるやかな雰囲気で話し合いを行った。
「ゆるやかな繋がりの中で、お互いに響きあい、想いが重なり合って、もっと大きな繋がりとなる」今回のオンパクのテーマ“響きあう、重なりあう、そして、つながる”である。
今回は日本の伝統文化である和歌・俳句を遊び心として取り入れ、キャッチフレーズの部分を5・7・5で表すようにした。また、お客様からいただくアンケートにもプログラム参加の感想を5・7・5で表現していただき、遊んでもらうと面白いかも!という試みも思案中。
10.企画を作る上で、みなさんがドキドキワクワクしていないと意味がない!
いつまでも心の中に残っている記憶や思い出をお客様に与えられれば、それはとても素敵で、良いプログラムだといえるだろう。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
土肥
ゲストスピーカー:末田 加良子(NPO法人ハットウ・オンパク 企画コーディネーター)
・オンパクとわたしの10年
・企画を作っていくうえで大切なこと
1.オンパクは毎年春に開催、今年で17回目を迎える。(過去には春と秋に開催していた為)
オンパクの始まり…10年前は、ちょうどまち歩きが始まった頃で現在のオンパクのような“着地型旅行商品”は世間一般には認知されていない時代だった。
そんな中で、まずはたくさんの方に知ってもらうために、教室を持っている先生方(ネットワークが広く実力のある方々)に講師として来ていただき、教室を開いたのがきっかけ。
現在はプログラム提供者のことをパートナーと呼ぶ。
2.別府オンパクのコンセプトは温泉地でゲンキ+キレイ。これは10年変わっていない。
温泉地ということもありエステやマッサージをされている方や、病院も多い。“健康温泉滞在型雇用地”ということもコンセプトとしていて、かなりメディカルなスタートであった。
たくさんの病院の先生方にもパートナーとして来ていただいたが、堅いイメージを持たれあまり人が集まらず、それでもなんとか人を動員して第1回目を開催した。それが2001年の秋であった。企画内容よりも、ひとつひとつのプログラムをなんとか成立させなければ、という思いで力を注いだ印象。
3.その後2年ほどそのような形で開催し、3年目に、プログラム内容を面白いもの・質のいいものにしようと、意識して取り組むようになった。というのも、リピーターのお客様方から「次はこういうものをやってほしい」という声を直接聞くことができ、パートナー側も「待っている人がいるから、もっと面白いものを作ろう」というモチベーションアップにつながったからである。
4.2004年頃になると、全国でもまち歩きをするところが増え始め「地域づくり」に対しての関心や認知度も高まり、自分自身もオンパクを楽しんでやるようになっていた。
5.オンパクは当初3年間、補助金で運営していた。
料金も500円・1000円・1500円の3種類。お客様にはとてもリーズナブルな価格で参加していただき、パートナーの方々にも謝金を払っていた。
しかし、3年間で補助金も終了し、自立した運営をしていかなければならなくなる。パートナーの先生方からも参加費をいただくことに対し激しく責められたものの、それでも協力していただける方々と新しい形の運営を目指した。
6.オンパクを始めて10年になるが、いまだに“行政がやっているもの”と思われている。しかし実はNPO法人で、事務局は別府市温泉旅館組合を主体としている。
オンパクの運営は、パートナーからの参加費と、一般客からの参加費(これは主催するパートナー側の収入となり、経費もそれでまかなう)で成り立っている。
7.今年の5月開催のオンパクは、24日間で160種類のプログラムを提供する。
たくさんのプログラムがある中で、「自分のプログラムを選んでもらう」ことはすごく大変なこと。ある意味、パートナーのみなさんはライバルであり、お互いに切磋琢磨しながら活動している。また、どんなに魅力的なプログラムでも2~3年続けて同じ内容だとお客様は飽きてしまうため、アレンジを加えながら変化させていく必要がある。
8.末田さんが企画コーディネーターとして意識していることは、どうやって地域の新しい方(パートナー)を巻き込んでいくか、ということ。
最近の取り組みとしては、
●プログラム参加者の中から、ハードリピーターの方に企画チームに入ってもらう。
●美女軍団を結成し企画チームを作る。(マスコミの方々に効果アリ!)
●行政の方ばかりを集めた企画チームを作る。(行政の方は地域の方とのネットワークが広いため。)
9.そして今回考えたのが、企画ワークショップ「寺子屋」である。今まではパートナーと1対1で話しあうことが多かったが、みんなで話し合って進めていく方がより面白いものが生まれるという。開催場所もみなさんが行きたくなるような場所を選び、ゆるやかな雰囲気で話し合いを行った。
「ゆるやかな繋がりの中で、お互いに響きあい、想いが重なり合って、もっと大きな繋がりとなる」今回のオンパクのテーマ“響きあう、重なりあう、そして、つながる”である。
今回は日本の伝統文化である和歌・俳句を遊び心として取り入れ、キャッチフレーズの部分を5・7・5で表すようにした。また、お客様からいただくアンケートにもプログラム参加の感想を5・7・5で表現していただき、遊んでもらうと面白いかも!という試みも思案中。
10.企画を作る上で、みなさんがドキドキワクワクしていないと意味がない!
いつまでも心の中に残っている記憶や思い出をお客様に与えられれば、それはとても素敵で、良いプログラムだといえるだろう。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
土肥
2012年04月13日
ボンパク☆寺子屋 第4夜
・・・4月4日(水)・・・
山田町・山田かかし館にて、第4回寺子屋が開催されました。
ここはとても雰囲気のいい場所でした~☆
今夜のゲストスピーカーは別府ハットウ・オンパクの
企画コーディネーター・末田加良子さんです!
末田さんとオンパクの10年、プログラムを企画するうえで
大切にしていることなどをお話いただきました。
とてもエネルギッシュな方で、一緒にいるだけでパワーをもらえる素敵な方でした。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
さて、休憩をしたあとはグループワークへ。
それぞれの班に分かれて、企画を練っていきます。
そして今回、末田さんより
「キャッチフレーズを5・7・5で表そう!」
という提案が。みなさん考え中…。
プログラム案発表の時には
おっ!と思わせるものから、くすっと笑えるものまで、
みなさん様々な5・7・5を披露してくださいました。
最後に記念撮影☆
ゆったりとした、とても心地のよい時間でした。
ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
土肥
山田町・山田かかし館にて、第4回寺子屋が開催されました。
ここはとても雰囲気のいい場所でした~☆
今夜のゲストスピーカーは別府ハットウ・オンパクの
企画コーディネーター・末田加良子さんです!
末田さんとオンパクの10年、プログラムを企画するうえで
大切にしていることなどをお話いただきました。
とてもエネルギッシュな方で、一緒にいるだけでパワーをもらえる素敵な方でした。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
さて、休憩をしたあとはグループワークへ。
それぞれの班に分かれて、企画を練っていきます。
そして今回、末田さんより
「キャッチフレーズを5・7・5で表そう!」
という提案が。みなさん考え中…。
プログラム案発表の時には
おっ!と思わせるものから、くすっと笑えるものまで、
みなさん様々な5・7・5を披露してくださいました。
最後に記念撮影☆
ゆったりとした、とても心地のよい時間でした。
ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
土肥
2012年04月13日
ボンパク☆寺子屋 第3夜 講話内容報告
ボンパク☆寺子屋 第3夜
ゲストスピーカー:浅野 隆志(都城ミュージカルクラブ)
・経歴
・ボンパクに関わるきっかけ
・演劇に対する考え
・今後の展望
1.17年前(平成7年)に、大阪から新規就農者として都城・高城町へ。
2.大阪時代~学校へ通いながら18歳で劇団に入る。
27年間で約7000ステージ(!)を経験され、全国で訪れていない県はないほど。
10年間劇団に所属し、その後はフリーで活動。
3.5年ほど前に佐土原さんに公立の劇団を作りたいとの考えを伝えるが、(尼崎市のピッコロ劇場などが有名)そう簡単にはできないとのことから、ならば自分で劇団を作ろうと決意。まずは人脈、人とのつながりを広げるため様々なボランティア活動に参加。
4.2008年12月、まち会社主催の「高校演劇ワークショップ」でミュージカル・ブレーメンの音楽隊を演出。数ヶ月前から演劇の練習に励む高校生たちも、はじめはやる気がなかったがだんだんと変わっていった。そうした中で感じたことは、「なにかをやり遂げることによって、人は自分に自信がもてる」ということ。
まずは声を出す→相手に届く→相手が反応してくれる=コミュニケーションである。
そして2009年5月、その子ども達とともに都城ミュージカルクラブを立ち上げる。
5.子ども達に何を届けたかったのか?
●子ども達は「何かしたい」と思っているけど「何をしていいのかわからない」。
その選択肢のひとつとして演劇を選んだ。
●本当の楽しさをわかってほしい。
本当の楽しさとは、困難(はじめは嫌々やっていたこと、面倒だと思っていたこと)をクリアして、充実感や達成感を得ること。
6.ワークショップには良さもあるが、どうしても一過性になってしまう。それを積み重ねることによって芝居が成り立つ。
芝居は舞台の上で心が本当に自由になること。「どう台詞を言おう」ではなく、「どう心を動かすか」が大事。誰でも役者になれる、そういう楽しさを感じてほしい。
ワークショップでない、“劇団という組織”を作りたかったのは、常にそこにある存在でありたいから。
7.劇団の約束事とは?
●しっかりと挨拶をする。自分達の存在は自分達だけでは成り立たない。周りの支えがあってからこそだということを認識してほしい。
●できないと思わないこと。(口には絶対出さないこと。)できないと思ったら何もできない。やればできる、が大事。今はうまくできなくても積み重ねていけば必ずできるときが来る。
8.芝居は、第3者の気持ちになることができる、他人を認識することができる。それによって、人を思いやることができる。
今の時代に「何かに変わることができる」と思えることの大切さを伝えたい。
9.「プロさを求めたい」
たくさんの人が芝居をするのに都会へ出て行くが、ここ都城でプロの役者となり、それを仕事にできるような職場をつくりたい。
そのためにはクオリティの高いものを作る必要があり、基礎がとても大事だと考える。
今後は人材育成をして、次の世代へつなげていきたい。
10.浅野さんの考えるまちづくりとは?
都城が「子育てのしやすいまち」となれば。
昔ながらの人付き合いは、生活が便利になればなるほど分断されていく。精神的な部分でつながっていられる存在を大切にしたい。
知らないおっちゃんが叱ってくれる環境、隣近所とつながるひとつのきっかけとしてボンパクが有効であると考える。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
土肥
ゲストスピーカー:浅野 隆志(都城ミュージカルクラブ)
・経歴
・ボンパクに関わるきっかけ
・演劇に対する考え
・今後の展望
1.17年前(平成7年)に、大阪から新規就農者として都城・高城町へ。
2.大阪時代~学校へ通いながら18歳で劇団に入る。
27年間で約7000ステージ(!)を経験され、全国で訪れていない県はないほど。
10年間劇団に所属し、その後はフリーで活動。
3.5年ほど前に佐土原さんに公立の劇団を作りたいとの考えを伝えるが、(尼崎市のピッコロ劇場などが有名)そう簡単にはできないとのことから、ならば自分で劇団を作ろうと決意。まずは人脈、人とのつながりを広げるため様々なボランティア活動に参加。
4.2008年12月、まち会社主催の「高校演劇ワークショップ」でミュージカル・ブレーメンの音楽隊を演出。数ヶ月前から演劇の練習に励む高校生たちも、はじめはやる気がなかったがだんだんと変わっていった。そうした中で感じたことは、「なにかをやり遂げることによって、人は自分に自信がもてる」ということ。
まずは声を出す→相手に届く→相手が反応してくれる=コミュニケーションである。
そして2009年5月、その子ども達とともに都城ミュージカルクラブを立ち上げる。
5.子ども達に何を届けたかったのか?
●子ども達は「何かしたい」と思っているけど「何をしていいのかわからない」。
その選択肢のひとつとして演劇を選んだ。
●本当の楽しさをわかってほしい。
本当の楽しさとは、困難(はじめは嫌々やっていたこと、面倒だと思っていたこと)をクリアして、充実感や達成感を得ること。
6.ワークショップには良さもあるが、どうしても一過性になってしまう。それを積み重ねることによって芝居が成り立つ。
芝居は舞台の上で心が本当に自由になること。「どう台詞を言おう」ではなく、「どう心を動かすか」が大事。誰でも役者になれる、そういう楽しさを感じてほしい。
ワークショップでない、“劇団という組織”を作りたかったのは、常にそこにある存在でありたいから。
7.劇団の約束事とは?
●しっかりと挨拶をする。自分達の存在は自分達だけでは成り立たない。周りの支えがあってからこそだということを認識してほしい。
●できないと思わないこと。(口には絶対出さないこと。)できないと思ったら何もできない。やればできる、が大事。今はうまくできなくても積み重ねていけば必ずできるときが来る。
8.芝居は、第3者の気持ちになることができる、他人を認識することができる。それによって、人を思いやることができる。
今の時代に「何かに変わることができる」と思えることの大切さを伝えたい。
9.「プロさを求めたい」
たくさんの人が芝居をするのに都会へ出て行くが、ここ都城でプロの役者となり、それを仕事にできるような職場をつくりたい。
そのためにはクオリティの高いものを作る必要があり、基礎がとても大事だと考える。
今後は人材育成をして、次の世代へつなげていきたい。
10.浅野さんの考えるまちづくりとは?
都城が「子育てのしやすいまち」となれば。
昔ながらの人付き合いは、生活が便利になればなるほど分断されていく。精神的な部分でつながっていられる存在を大切にしたい。
知らないおっちゃんが叱ってくれる環境、隣近所とつながるひとつのきっかけとしてボンパクが有効であると考える。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
土肥
2012年04月13日
お世話になりました!
ボンパクの事務局スタッフの長曽我部です。
1年4ヶ月という短い間でしたが、ボンパク関係者の皆様と
お仕事させていただき、本当にお世話になりました。
ありがとうございました!
3月いっぱいでボンパク事務局から離れることになりまして、
ご挨拶のブログでございます
スタッフになった当初は、長野から引っ越して半年ということで、
都城について何も知らない私で大丈夫だろうか?という不安も
ありました。
しかし、都城の魅力を伝えていこうという元気な方々の
お話を聞いたり、地元の美味しい物を食べたり、名所や名物を
見たりすることはとても刺激的で、都城に住んで良かったなぁ
と思うことがたくさんありました
五感で都城という地域を体感することができたのは貴重な
経験となっています。それもボンパクという『まちを元気にする』
イベントに携われたからこそだと思います。
今後もボンパクがまちの活力となる事業であることを
心から願っております。どうもありがとうございました
長曽我部
1年4ヶ月という短い間でしたが、ボンパク関係者の皆様と
お仕事させていただき、本当にお世話になりました。
ありがとうございました!
3月いっぱいでボンパク事務局から離れることになりまして、
ご挨拶のブログでございます
スタッフになった当初は、長野から引っ越して半年ということで、
都城について何も知らない私で大丈夫だろうか?という不安も
ありました。
しかし、都城の魅力を伝えていこうという元気な方々の
お話を聞いたり、地元の美味しい物を食べたり、名所や名物を
見たりすることはとても刺激的で、都城に住んで良かったなぁ
と思うことがたくさんありました
五感で都城という地域を体感することができたのは貴重な
経験となっています。それもボンパクという『まちを元気にする』
イベントに携われたからこそだと思います。
今後もボンパクがまちの活力となる事業であることを
心から願っております。どうもありがとうございました
長曽我部
2012年04月13日
ボンパク☆寺子屋 第1夜 講話内容報告
3月7日(水)ボンパク☆寺子屋 第1夜
スピーカー 石井和郎さん(NPO法人正応寺ごんだの会)
・心意気
・効果
・将来像
1.都城市安久地方の方言で柿のことを「ごんだ」という。
ごんだの名産地だったことからNPO法人の名前を『正応寺ごんだの会』とした。
ボンパクでは第1回からプログラム提供する常連。
2.10年程前までは『50年間進歩のない正応寺と』言われていた。
集落道路は鬱蒼とした樹木や竹林で覆われ、暗いイメージ。
宮崎県内でも村づくりに関しては遅れている地域だった。
3.石井さんが公民館長に就任した時から村づくりの改革が始まる。
《掲げたスローガン》
①自分達でできることは自分達でやる
②一歩、二歩、先を見据えた村づくりに取組む
③公民館に所属する全員がボランティア活動に従事する
4.道路の修繕や屋敷の木を切り、景観を改善。
また、田園空間整備事業にも取り組む
5.平成18年NPO設立し、拠点を農業伝承の家とする。
後に、株式会社ごんだ農産設立。収益事業の柱となっている
6.正応寺の村づくりについて視察・研修で訪れる人は年間1,000~1,500人にのぼり、JICAの研修を受け入れたこともある。
7.石井さんは「夢を追いかけ、挑戦することをモットーに日々の活動に取組み、
地域に眠っている財産を生かした村づくりに取組んでいきたい」と話す。
8.ごんだの会の村づくりの効果として、行政の協力を得やすくなったことや
Iターン・Uターン者が増えてきたことにも見ることができる。
9.地域づくりは地元の人だけでなく、外部の人も巻き込んで活動していくことが大事。
行政・企業・旅行会社・教育機関の連携によりさらに発展させていく。
今後は、福祉に力を入れていきたい。
少子高齢化の時代、お年寄りが住みやすい地域づくりを目指す。
10.都城の活性化された未来像とは?
・グリーンツーリズムや体験型宿泊等で活性化されている。
・地域にある財産を生かした体験型イベント、ボンパクが機能することが
活性化された都城の姿と言えるのではないか。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
長曽我部・土肥
スピーカー 石井和郎さん(NPO法人正応寺ごんだの会)
・心意気
・効果
・将来像
1.都城市安久地方の方言で柿のことを「ごんだ」という。
ごんだの名産地だったことからNPO法人の名前を『正応寺ごんだの会』とした。
ボンパクでは第1回からプログラム提供する常連。
2.10年程前までは『50年間進歩のない正応寺と』言われていた。
集落道路は鬱蒼とした樹木や竹林で覆われ、暗いイメージ。
宮崎県内でも村づくりに関しては遅れている地域だった。
3.石井さんが公民館長に就任した時から村づくりの改革が始まる。
《掲げたスローガン》
①自分達でできることは自分達でやる
②一歩、二歩、先を見据えた村づくりに取組む
③公民館に所属する全員がボランティア活動に従事する
4.道路の修繕や屋敷の木を切り、景観を改善。
また、田園空間整備事業にも取り組む
5.平成18年NPO設立し、拠点を農業伝承の家とする。
後に、株式会社ごんだ農産設立。収益事業の柱となっている
6.正応寺の村づくりについて視察・研修で訪れる人は年間1,000~1,500人にのぼり、JICAの研修を受け入れたこともある。
7.石井さんは「夢を追いかけ、挑戦することをモットーに日々の活動に取組み、
地域に眠っている財産を生かした村づくりに取組んでいきたい」と話す。
8.ごんだの会の村づくりの効果として、行政の協力を得やすくなったことや
Iターン・Uターン者が増えてきたことにも見ることができる。
9.地域づくりは地元の人だけでなく、外部の人も巻き込んで活動していくことが大事。
行政・企業・旅行会社・教育機関の連携によりさらに発展させていく。
今後は、福祉に力を入れていきたい。
少子高齢化の時代、お年寄りが住みやすい地域づくりを目指す。
10.都城の活性化された未来像とは?
・グリーンツーリズムや体験型宿泊等で活性化されている。
・地域にある財産を生かした体験型イベント、ボンパクが機能することが
活性化された都城の姿と言えるのではないか。
大変貴重なお話、ありがとうございました。
長曽我部・土肥